ザ・インタビューズ 保存版

naoto_ogawaさんのインタビューを読んでいて、ああ、なるほどととても納得のいった意見がありました。しかし、相当に鋭い意見だったので、あまり腹を割って話できる友人は多くないのではないか、と勝手ながら思いました。ご自身では自分の交友関係はどういった印象ですか?



腹を割って話す、本音を話せる、意見をぶつけあう事ができる、友人というものがそういった関係性の上に成り立つものだとすれば、多少の鬱陶しい思いがありますね。本音で話して楽しい友人も居るといえば居ますが、子供の頃から常に独りで思索して生活してきたので、本当に重要なところは結局自分の中にしか無いし、それは自分でしか理解できないものだという思いがあります。他者とのコミュニケーションは生きていくうえで避けて通れないのは当然。しかしそれはあくまで社会人として生きていくために必要なもので、そこから得るものはあくまで社会にしか通用しない、そう思うのです。社会で通用しないものとは。芸術?は一見そういった、社会とは隔絶したところから生み出される純粋なもののように思えますが、残念ながら世の中の大半の「芸術」に括られるものは遠からず近からず、社会と個人との関わりを扱ったもののように思えます。芸術にも満たない、なにか圧倒的な、ゼロよりマイナスな在り方。抽象的な表現で申し訳ないですが、そういうものが友人や社会との関わりから生み出せる物ではないと思っています。もちろんコミュニケーションは大事です。しかし私は、その楽しい友人達に面倒な事を強要したくない代わりに、面倒な事を要求されたくないというのがあります。「個人」が「個人」でいられる事が、この世の中で最も幸せな状態であって、個人である事を尊重し、そういった距離感で付き合ってくれる友人が一番気心を許せると思います。従って、腹を割って話す友人というのはいますが、それはあくまで社会生活を営むうえでのコミュニケーションで、自分の中の本当に「核」の部分が、他人なんかにさらさら理解できるものではないと考えています。ただ、普通に生きて生活していくうえで、話していて楽しい友人の存在が大切だというのは人並みにあると思います。

友人を沢山つくり、充実した人生をエンジョイするのも良いですが、誰にでも存在するはずの自分の中の「核」の部分を、もっと突き詰めて突き詰めて、全く他人には理解できないものを創造するという作業、それは発表しても、しなくてもどちらでも構わないんですが、そういうのをためこむ作業をもっともっと人はするべきだと思いますがね。