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小川さんが表現したいものは何ですか?



これは音楽においても文章でも共通するのですが、ゼロからの表現を目指しています。世の中のあらゆる芸事、スポーツや美術、仕事、ビジネス等もそうだと思うのですが、まず基礎があってこその応用があり、基礎をしっかり学んだ表現はどんなに形を崩しても説得力があると思います。子供の頃は美術の授業でピカソの奇天烈な絵を見て愉快になりましたが、勿論それはしっかりとした基礎を築いた上で行き着いた物であるのは周知の事実です。しかしながら、そういった基礎も何も無い形、本当にゼロから表現できる事は無いかと模索しています。

小学生の頃に衝撃を受けた思い出があります。俺の小学校は通常のクラス編成とは別に養護学級というのが設けられており、いわゆる知的障害者を受け入れる施設があったのですが、全校集会、つまり体育館で全学年を集めて校長先生の話を聞いたりする場でもその養護学級の児童は一緒に話を聞くのですが、その児童達は人の話を落ち着いて聞くという作業が、どうしても出来ない。故に、静まり返った体育館に自己を抑えられないゆえの奇声が響き渡るのです。その旋律の美しさが分かるでしょうか。意味不明な言語で思う様発せられる奇声はエネルギーの塊で、真に魂を揺さぶられるものがあります。

無学である事、無知である事によってもたらされる表現に興味があります。人間は知識を得る事、技術を得る事からは逃れられず、その結果「ちゃんとしたもの」に向かわざるをえません。ちゃんとせず生きると他人に迷惑をかける事になりますが、普段の生活にしろ、なにかしら人前に立つ状況にしろ、ハプニングが起きるという事に対して初めて反応が起こるものだと思っています。ちゃんとしてれば、他人から「ちゃんとしてるね」としか思われません。完全にノーインプットの状態で自己表現できればいいと思っているのですが、さすがに完全にゼロというのは不可能であります。が、あの養護学級の児童達は、そういう高みに近付けれる稀有な存在ではないでしょうか。

みなさんは道端で突然奇声をあげる事ができますか?

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中古レコード、CDなどに対するこだわりがあれば教えて下さい。



拘りというか、趣味がそれしか無いので一日中でも話し続ける事ができますけどね。でもまずなんと言っても、レコード、CDそのものが物質的に好きだというのがありますね。四角くて平べったい物の中に丸くて平べったい物が入っている、ただそれだけで最高って感じがするんですよね。だから俺、普段からピザが好きって言ってるじゃないですか。あれも四角くて平べったい物の中に丸くて平べったい物が入っているんですよ。ただ、その2つの決定的に違う所は「中古」という存在ですよね。中古のピザはあんま食べたくないですよね。レコードやCDの何が楽しいかって、中古盤の存在があるからに他ならないんですよ。CDが売れない昨今と言いますが、メーカーもダメージジーンズ的な感覚で最初から中古CDを販売すればナウいかもしれませんよ。

で、中古の何が楽しいかって「沢山買える」って事なんですよ。これは当たり前の様で重要な事です。例えば今、メジャーな日本のアーティスト、ここでは桜塚やっくんにしておきましょうか。桜塚やっくんの新品CD一枚3000円出して買うよりも、ディスクユニオンの100円箱を漁れば30枚買えるんですよ。仮に桜塚やっくんのその3000円のCDが素晴らしい傑作で、30枚買ったアナログ盤が全部クソでも、俺は30枚の方を選びますね。良質な物をひとつ吸収するよりも、間違った物や失敗した物、ダサい物やかっこ悪い物を30個吸収した方が面白いんですよ。偏った価値観や勘違いした解釈を生み出してこそ面白いのであって、教科書通りの生き方が悪いとは言いませんが、少なくとも俺はライブハウスなんかで退屈な音を出しているバンドを見て、ああ、この人達は普通の音楽の聴き方しかしていないからこんなに面白みの無い演奏をするのだな、ああ退屈退屈はやく終わらねえかな、クソつまらない曲ばっかりやりやがって、といった悪態を露にするのです。そういう無自覚な無個性集団が世の中で最も害悪なんですよ。ニコニコと演奏しやがって、おまえらは自分らが楽しければそれでいいのかよ、金払ってオマエラの自己満足を見せ付けられているこちらとしては今すぐビール瓶のひとつでも投げ込みたいところだけど、そんな事をしたところで退場させられるのはこちらですからねえ。

話が逸れてるかもしれませんね。で、俺は2年前に札幌から上京したのですが、それは仕事探しが目的であり、音楽活動が目的でもあるのですが、何よりもディスクユニオンのある地域に来たかったというのが実は一番の目的かもしれません。地方っていうのは意外に「クズレコ」が安くないんですよね。大嫌いなので名指しで言いますが、札幌にある「ドリームズカムトゥルー」という不愉快な名前のレコ屋があるんですが、ここはユニオンで100円で投売りしているようなクズレコに平気で1000円とかつけてます。もう、何を考えているのか分からないですよ。中古レコードが高尚な趣味とでも思っているんですかね。レコードの価値も分からずにレコードを売るべからずですよ。いや、別に貴重な物はプレミア価格つけても全然構わないんですよ。ゴミに法外な値段をつけるなと言いたいだけです。

しかしながらそんな「ゴミ」が愛しく思えてくるのがこの世界の魅力です。とにかく、どんな些細な部分でも自分のアンテナに引っかかるところがあれば、そのゴミレコ、ゴミCDは宝物に変わるのです。どんなゴミクズ人間でも「その人らしさ」というものがあるように、そのレコードらしさがあれば、どんなレコードも可愛く思えてくるものですよ。

という訳で、とにかく「ディスクユニオン」の存在が大きいんですよね。札幌に住んでる頃にお世話になったショップも沢山ありますが、申し訳ない、俺はディスクユニオンに骨を埋めてもいいと思ってます。

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今まで見た夢で(寝ているときに見る夢です)印象に残ってるものってありますか?



夢は全く記憶に残さないんですよ。何故かというと大半が悪夢なので。憶えていても胸糞悪いようなものばかりなので、憶えないようにしています。ただ、趣味の話になるんですが、探しているレコードを発見する夢を2年に1回くらいの割合で見ます。サディ・サッズという大好きなバンドがありまして、そのバンドはアルバムを一枚出して活動停止したのですが、そのバンドの実際には出ていない2ndLPを発見して狂喜したというのは印象に残っていますね。まあ、レコードに限らず欲しい物が手に入る夢は悪夢よりは気分が良いものですが、起きた時の喪失感が凄いですね。

悪夢の様な現実とはよく言ったものですが、30歳を過ぎたあたりからの生活は全く現実感が無いというか、とにかく日々をやり過ごすだけなので全く記憶に残らない。そういった意味では夢のような人生だとも言えるのではないでしょうか。中学生の頃が一番リアル感があったように思います。自己を形成するために日々様々なものを吸収し、まだ脳が空に近かった時期。その時期に起こった出来事は今でもハッキリと記憶に残っていますが、ここ数年のボンヤリとした生活に生命力を感じる事は無いように思います。スーパーの惣菜コーナーの2割引シールの上に、更に半額シールが貼られる瞬間を待って、周辺をウロウロするとか中学時代はやらなかったですよ。30過ぎてからは、そういう、生活に追われる様なセコい日常が多すぎて感受性は腐食していく一方です。このままでいいのか。ビーバップハイスクールをワクワクしながら読んだ中学時代にはもう戻れない。

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自室の窓辺で夕暮れを眺めながらレコードを回して口笛を吹いてるイメージがあるのですが実際はどうでしょう?



無職の時って、昼間とにかく部屋でダラダラして、陽が落ちてきて薄暗くなってきても電気を点けるという行為が面倒で、どんどん部屋が暗くなっていくあの瞬間。あれは最高ですね。圧倒的に非生産的な日々を、お金の心配が無く送れたらどんなに楽しいだろうと思いますよ。何もしないという行為をエンジョイできる人間と、そうでない人間がいるとすれば自分は確実に前者に当たりますね。口笛は実は吹けないんですが、一日中音楽を聴いているだけで、他は何もしないというのは大好きですね。だから口笛以外は大体イメージ通りだと思います。大体、「遊ぶ」っていう事がよく分からないんですよ。旅行に行ったり、遊戯場に行ったりスポーツや観光とか、ほぼ興味無いんですよ。ショッピングにしてもレコードショップ以外は特に行かないですし、ちょっとした外食くらいですよね。好きなのは。自分の中に「遊ぶ」というプログラムが組まれていない感じがありますね。さて、何して遊びましょうか。

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最近アニメの影響でドクターペッパーが再び人気になっているそうですが、 そもそもogawaさんはどういうきっかけで飲むようになったのですか?



なんか、そうみたいですね。詳しい事は知らないのですが、そういったきっかけからドクターペッパーの人気が上がるのは非常に喜ばしい事だと思います。今までマイノリティとしての苦渋を嫌という程味わってきましたからね。俺はハッキリ言って、差し入れにジョージアのショート缶なんか持ってきたら誰であろうとその場でぶん殴りますからね。辛い仕事の合間、林家いっ平が「どうぞ」とか言ってジョージア持ってきたら手刀で首をはねますね。缶コーヒーなんかで気が利いてると思われる世の中には徹底的に「NO」を掲げていきたいですよ。俺は常にいつでも、どんなシチュエーションでもドクターペッパーを持ってきてくれる人を大切にしていきたいと思っています。俺が日本シリーズで勝ったらドクターペッパーかけをしますよ。常にドクターペッパーを差し出す気持ち。こういうのをみんなで共有できたら、世の中はどんなに気持ちのいいものだろうと思いますね。マジで。

で、きっかけですけど、俺の住んでいた札幌シティは元々ドクターペッパーの無い地域、というかドクターペッパーは関東ローカルとかですよね?なので、元々は全然知らなかったんですよね。そのかわり北海道ローカルで「ガラナ」や「カツゲン」といったマッドテイストなドリンクを楽しんでいたんですが。

そんなおり、俺が17歳ぐらいの頃か、松尾貴史の「キッチュのラジオ大魔術団」というコント等を収録したCD
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2242343

が出て、それにドクターペッパーのコントが入っていたんですよ。それがどういうものかは説明が難しいので、気になる人はニコニコのリンクで聴いてみてほしいんですが、ともかくそのコントを聴いてドクターペッパーとは一体何なのだ?と思ったのがファーストコンタクトだと思います。それ以降、ドクターペッパーを飲んでみたいと思って探したりするんですが、札幌はどこにも置いてないんですよね。そして月日は流れて25歳ぐらいの頃か、当時住んでいた「中の島」という所のラブホテルとラブホテルの間にある薄汚れた自販機で初めてドクターペッパーを発見しました。すぐさまそれを買って飲んで以降、俺はドクターペッパーに心酔し続けているのです。

ドクターペッパーだけは裏切らないんですよ。あの、毒素そのものを飲んでいる感じ、下衆で下世話でアグレッシヴ。缶コーヒーなんかの渋さは微塵もありません。ボスジャンなんか要らないから、ドクターペッパースーツみたいのが着たいですね。それで原宿を練り歩くんですよ。なんたって俺はドクターペッパーの人ですから。

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ジャーマン・ニューウェーヴの魅力を教えてください。



昔から言っているのは、例えばオーソドックスなバンド編成、ギター、ベース、ドラム。これにアナログのモノフォニックシンセサイザー(単音しか出ないチープな電子鍵盤)が入るだけで、演奏がいびつになる、ギクシャクした感じになるんですね。これは、意識的に出している例もあれば、無意識に「そうなってしまった」例もあるのですが、どちらにしても従来のロックの物とは違うノリが出ます。ロックという音楽形態が、ルーツミュージックからの流れ、すなわち、ブルースやカントリー、ジャズ等から来ていると思うのですが、電子音はそれらの遺産を断ち切って、骨組みだけの無機質なグルーブを生み出すんですね。簡易的なリズムボックスも然りです。バンドがどんなに熱い演奏をしようが、チャカポコした旧式のリズムボックスをバックに使用するとどうしてもチープになってしまいます。むろん、リズムボックスやシンセサイザーを使用しないジャーマンNWのグループでも、そういうノリを出す物もありますし、いろいろな形態がありますが、全ては79年から83年辺りまで、デジタルシンセの洗練された音が波及するまでの間の出来事なのです。これは同時期のPunk/NewWave全般でも同様に言える事なのですが、ことドイツに関しては突出している様に思います。これはドイツという国民性がそうさせるのか、といった事が議論される事もありますが、その辺はよく分からないですね。

ジャーマンNWは確実に時代性ありきの音楽スタイル、ジャンルではありますし、他の英米のシーンと比べても明らかにマイナーで、いまだ好事家の娯楽といった感がありますが、個人的にはもっと広く知られて然るべきだと思っています。

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暗い部屋で電気を点けるべく照明器具のスイッチのヒモを掴もうとするも暗いがゆえに全くヒモが掴めないというパラドックス的な状況がご自身の人生と重なったりしましたか?

今日、床屋行ってきたんですけどね、もうなんか最近仕事で疲れてるのかなんなのか、ウトウトと眠くなったんですよ。夢のような、現実のような何だか分からないボンヤリとした中でカット、顔剃りが終わって。で、床屋出てみると、もう自分は以前居た世界とは違う世界に居て、今居るこの世界は、一見以前居た世界と同じ様に見えるけど、何かが決定的に違う。その何かが分からないまま、ぼんやりと自転車を漕いで、ふと「とんかつ屋」が目に入ったので、なんとなく店に吸い込まれる様に入ったんですよね。取り敢えず「おすすめ」と書かれていたカツカレーをオーダーして待っていると、向かいの座敷には、主婦の団体客が居てオシャベリに花を咲かせている。隣の席は、孫2人を連れたおじいちゃん。孫とおぼしき子供2人は食事が終わって退屈らしく、ギャンギャン騒いでいるんですよ。その横のギャンギャンと、向かいのペチャクチャの中に居る自分というのは一体なんなのだ、世界の急速な発展、人類の深遠な歴史、コンピューター、テクノロジー、IT産業の隆盛。どれもこれもが、全部幻想だったかのようなその空間、その空間に一生いなければいけないような気がして、でも、それはそれでしょうがない事なのかもな、と思いはじめた瞬間にカツカレーが運ばれてきて私は愕然としました。こ、これで890円・・・!?そこにあったカツカレーらしき物は、レトルトカレーに薄っぺらいカツを乗せただけの様な物で、量も極普通の量。食べてみても、別段感動する所はコンマ1ミリも無いカツカレーを、私は極々普通のペースで、普通の表情で食べました。かつてガガーリンが「地球は青かった」と、新たな人類の歴史を踏み出したにしては素朴な感想を持ったらしいですが、私もそれと同様なやり方で感想を述べると、ここのカツカレーは高い割には普通だった・・・という事になります。どんなに世界が変わろうとも、自分は自分のやり方で生きるしか無い、そう思います。一生暗闇の中でもがき続ける、そんな人生ですが、ほんとしょうがないんですよ。